「公共事業、拡大か見直しか」朝日記事を考える081229
1.朝日新聞081228が「公共事業、拡大か見直しか-にっぽんの争点」という記事を掲載した。この記事は朝日新聞の考え方がこれまでになく明確に分かり易くあらわされているし、朝日新聞もやはり真剣に日本の将来を考え、考え抜いた上で日本の戦略を考えられていることがよく分かった。ここまで真剣に考え抜き自分の言葉で表現された記事は(私の見落としはあるだろうが)他紙で読んだことがなく、ともかく朝日のレベルの高さを感じることが出来た。
1.しかしその結論と思われる”一般的なバラ撒きではなく、効果的なところに集中的にばら撒け”との主張は、なお日本の将来に取り危険なものになりうる可能性を含んでいると考えられるため、当HPの考えを今回記事で簡単にまとめておきたい。
1.ところで、朝日の言う”効果的な集中的ばら撒き”論とは、朝日のこれまでの主張を読む限り「公共事業」のみでなく政府の金融・財政政策の全てに通用する考え方と考えられるが、これが何を意味するかは、これまでの朝日の社説で分かるとおり、銀行や大企業へのお助けをはじめ、医療・福祉・教育・地球温暖化対策など様々なことが含まれていると考えられる。
そこで、誰もがこれは賛成するに違いないと思われるものが、実は大きな問題点を含んでいる点をはじめに述べれば、あとのものは論外である点が理解されやすいと思う。そこで、教育や科学技術への補助について考えたい。
1.朝日の言うような”効果的・集中的ばら撒き”が成功した最も有名な例は、19世紀から20世紀にかけてのプロシャ・ドイツの教育や科学技術への集中的投資であろう。これによりドイツはアインシュタインをはじめとする優れた科学者を輩出し、ドイツの世界的ブランドを不動のものにすることが出来た。また、明治維新以来の日本も同様な政策を打って最近まで大きな成功を成し遂げたし、旧ソ連が一時大きな躍進の実績を上げたことも同じである。こういうことは後進国が先進国に追いつく手段として極めて有効であることは何処でも証明されている。中国・印度も同じようにケインズ政策によって成功するだろう。
1.ではそこにどういう問題点があるのか?端的に言えばこういうことである。国の号令によって国民が動く社会とは奴隷国家である。自由国家ではない。国民は自分のやりたいように生きればよいし、自由に職業を選べばよい。ところが”効果的・集中的ばら撒き”には高い税金が必要な為、それが不可能になるのだ。
極端な話をしよう。国が全国民を科学者にしようと考えたとする。「これからは科学立国だ」と風船を打ち上げる。高い税を取り、科学者にのみばら撒く。科学者は生活が楽になり贅沢が出来るようになるが、それ以外の人は税金が高すぎて全然生活できなくなるので無理矢理に自分若しくは子供を科学者に育てる以外なくなる。
こういう政策をとれば確かに科学はその国で発達するだろう。しかし、絶対的にいえることは、ばら撒いただけの100%の効果はないということだ。また、それ以外の分野がおろそかになり、こういうことを何時までも続ければ長い目で見れば逆効果である。
つまり、人々は科学者になりたい人もいればそれ以外の、スポーツマンになりたい人もいる。漫画家になりたい人もいるし、人に雇われて平凡に一生を終えることだけ望む人もいる。人々が自分の思い通りの生き方が出来る社会が理想国家なのだ。また、好きこそ物の上手なれといい、やりたいように生きてこそ社会全体も活力あるものになるだろう。
しかし、このようなことが許されない時代もある。どうしても兵器産業を発展させなければ他国の植民地にされてしまうような時代もある。”効果的・集中的ばら撒き”が必要とされる時代があるのだ。明治以来の日本人が望んだのは、先進国に追いつけば自由国家が実現できるということであり、他国を奴隷国家にすることでも、何時までも”効果的・集中的ばら撒き”を続けて自分が奴隷であり続けることでもなかった。今日本は先進国に追いつき、貯金・個人資産も莫大な蓄積がある。だから今こそ、自由社会を実現できるのである。こんなことが可能なのは地球上で最先進国のみであり、今の現状では日本だけが可能だ。だが子供たちの現状を見てみよう。教育現場は最も矛盾の集中しているところとなっている。それは、やりたくないことを強制され、奴隷にされているからだ。
1.”効果的・集中的ばら撒き”の問題点は、私の考えでは次の3点であると思う:
1*自由の圧迫。
2*収穫逓減の作用。
3*中抜きの問題。
「収穫逓減の作用」とは、たとえば教育や科学技術にバラ撒きを行なう場合、初めはある程度効果が現れても次第に対費用効果比が低下する現象である。つまり、”効果的・集中的ばら撒き”がいわゆる”総花的バラマキ”より効果がある保証がない。「収穫逓減の作用」とは、やればやるほど効果はなくなるということだから、幾ら教育にバラ撒きを行なっても(子供たちがそもそも学問の必要性を感じていないのであれば)付けが莫大な借金となって子孫に行くだけであろうし、現実に教育投資に対する明治以降の「収穫逓減」は証明されている。昔は60人学級でも子供たちは目を輝かせて先生の言葉を聞いた。今ではたとえ10人学級にしても昔と同じ効果は出ない。こういうやり方では財政破綻は不可避である。
「中抜きの問題」とは言うまでもなく政治家・官僚の腐敗・無駄遣いが益々激しくなる問題である。
1.朝日の最大の問題点は、時代を読んでいない点にあると考えられる。つまり、米国が破綻し、日本の輸出立国は不可能になっている。勿論これまでの実績により強い実力を培ってきたところは飽く迄も「ものづくり」を追及して何ら問題はないが、国全体としては「輸出立国」・「ものづくり立国」は不可能だ。ではこれから日本は如何にして稼ぎ、食っていくのか?それは、日本自身がものづくりを行うのではなく、中国・印度をはじめ全世界に何を作らせていくかで勝負する必要があるということだ。そこで知識立国・金融立国の必要が出てくる。ではそれだけの知識・アイデアを何処から見出すのか?それは1つには日本企業が米国などの破産した会社を買収することで人材確保を図るだろうが、やはり日本自身がそれだけの人材を輩出しなくては厳しいだろう。そのためにこそ、今こそ国が教育指導要領などで押し付け教育を行うのでなく、又ビラ配りを取り締まるなどの無駄な民主主義破壊をやめ、真に自由と民主主義を尊ぶ自由国家を創出しなくてはならぬ。子供たちに強制教育を行うのではなく、又我々自身が奴隷になるのではなく、やりたいことを伸び伸びと出来ねば成らぬ。つまり、国に号令されてやるのではなく、自分の判断が大事だ。自分の金の使い方は自分が一番よく知っている。国に使い方を決めて欲しくはない。
つまり、「不況の時は皆金を使いたがらないのだから、国が強制的に巻き上げてばら撒くことで消費を作らねばならぬ」これは何としてもやめる以外ない。これでは明らかに奴隷である。
つまり、時代は変化し、パラダイムは変わった。これまでの成功体験に捉われることなく、新たな時代にそれにふさわしい新たな戦略が必要だ。今日本は自由国家が可能となっただけではない。自由国家に切り替わる以外にサバイバルの方法が全くなくなったのである。さもなければ少子・高齢・人口減少の中、雪ダルマ式に借金が増えて日本自身も崩壊の道をたどるだろう。
1.そもそも、今回の世界大不況は原因は何だろうか?それは、「小さな政府」を行なったためなどではない。「借金をして減税する」これが何故「小さな政府」なのだろうか?米国共和党政府はレーガン大統領以来借金によって減税し大赤字を増やしてきた。
無駄なものを徹底して削り減税することは「真の小さな政府」だが、「借金をして減税し・軍事費などの無駄を増やす」のはバラマキであり、典型的なケインズ政策である。典型的な「大きな政府」なのだ(借金と増税は同じものである)。米国では戦後、共和党も民主党もどちらも「大きな政府」以外実行しなかった。戦後、日米欧はどの国もどの政府も「大きな政府」以外の政策を実行したことはない。
今回の世界不況も、
「グリーンスパンが2001年から金利を歴史的な低水準におく政策をとった事が、住宅バブルの一因とされている。 ビジネス雑誌のビジネスウィークは2004年の7月に、低い金利と高い住宅価格が経済全体に流動性をもたらす構造をFRBが容認することで住宅バブルを招いたと批判した。2005年3月3日に、民主党のハリー・リード上院院内総務は、2001年のブッシュ大統領の減税策を支持したグリーンスパンを批判した」(「アラン・グリーンスパン」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
と言われている。
つまり、「借金しての大企業・大資産家への減税」というケインズ政策・大きな政府、もう1つは歴史的な低金利政策が原因だったのだ。元々ケインズの提言によって金本位制が管理通貨制度に変わった。これによって恣意的な低金利が可能となったのである。勿論、時代は変化しているから今から金本位制に戻すことなど不可能だが、であれば益々低金利やバラマキに気をつけてバブル発生を防ぐことが必要だったのだ。そして経済とは波動現象なのだから「山高ければ谷深し」といい、今まで数十年に渡って実力以上に贅沢三昧をやってきたのであれば、今後数十年にわたり貧乏生活が続くことは必然なのである。
そして気をつけなければならないことは、「今までは小さな政府で福祉を削ってきたからいけなかったのだ。これからは大きな政府で大々的に高い税を貧乏人から取り、大企業・大資産家に対するバラ撒きを行なうべきだ」という方向へ行っていることである。つまり、今までと同じことをドサクサ紛れに更に大々的に行おうとしているのである。
また、「これまでは規制緩和で失敗した。今後は大企業を守る為規制を強化すべきだ」との方向へ進んでいるのが現状である。大企業が力を持っていた時期には彼らは当然自分の行動を規制されることを嫌うだろう。しかし彼らが失敗し、持っている株がどんどん下がるようになれば、株の値下がりなどを防ぐ為に「空売り規制」などを望むのは成り行きである。しかし、これは自分勝手すぎないか?今までは「自由経済だから何をやっても自由だ。儲けることが何処が悪いのか」と言っておきながら、破産直前になると政府のお助けを求める。自由を主張するのであれば責任も伴うはずである。今まで自由を主張してきたのだから政府の助けを求めるべきではない。だから現在の日米欧の「大きな政府」への回帰も、結局本質は以前と何も変わっていないのである。「規制」という名のバラマキ(業界への参入を阻むなど)も・「規制緩和」という名のバラマキ(失敗したら必ず助けてあげるよとの暗黙の「約束」の下にやりたい放題させる)も、どちらも同じバラマキである。
我々の資本主義経済体制とは、自由をその本質とする。各人が自由に自分の運命を決めているのである。各人が自由に自分の職業を決め、各人が自由に店で商品を買っている。強制労働を課されていないし、誰も押し売りを受けていない。これが本来の姿だ。これが私達の人類の希望・理想である。
ところが大きな政府を作りバラ撒きを行なうと、まず高い税を取られるため一部の職業が有利になり又別の職業が不利となって職業の自由が奪われる。言い換えると奴隷労働が生まれる。次に大きな政府はバラ撒きを行なうためバブルが発生し、必然的に何時かバブル崩壊することで景気の波が極端になり世界大恐慌が発生する。1930年代の大恐慌もこうして発生した。今回の世界大不況もこうして発生したのである。こうして、19世紀までの恐慌とは10年に1回くらいで、起きても長続きしなかったのだが、20世紀型の恐慌とは60年に1回起き、それまでの贅沢三昧の結果収束に非常に長い年月を要するようになったのである。これが人々の生存権を奪い、世界戦争を引き起こすことで人命の大きな損失を招いてきたのだ。
そして「失敗した大企業へのバラマキ」とは如何に危険なものであるかもこれまでの歴史で十分に証明されている。つまり、失敗した会社とは自分の無能を証明したわけだ。そこに新たにお助けを出しても、彼らは再び失敗する可能性が強い。すると彼らは何を要求するようになるだろうか?第1に公共事業である。つまり、今現在使えるものを破壊して新たに建設することを求める。こうして公共事業においては価値あるものが膨大に破壊される。或いは自然が破壊される。これが資源の無駄・CO2の放出となって地球の命を壊していく。第2に戦争を発生させようと企むのだ。
こうしたことは日本と世界のこれまでの歴史によって120%証明されていることである。だから潰れる会社は潰れるに任すことが最も安全なことなのである。現在の麻生政権の政策は、日本経済の質を改変し、人類の運命をも左右しかねない危険な政策である。つまりファッショの台頭が現在着々と準備されつつあるのだ。自由か・ファッショか。今選択を厳しく問われているのだ。
1.だから理想を言えば今こそ「真の小さい政府」の出番の時代と言えるだろう。ところが何時ものことだが、大きな政府が失敗すると更に大きな政府を作るための合理化が行われるのである。しかし国の借金がここまで来るとそういうやり方も限界を迎えている。そこで、一足飛びに「小さな政府」に行けないのであれば、当面やるべきことは財政の無駄を削り、特にこれまでの護衛船団方式という大企業へのバラ撒きを削減し、経済弱者に回すことだろう。これは単純なヒューマニズムの運動ではない。先制攻撃的に大企業に回る金を奪うことでファッショの芽を事前に潰す自由と民主主義擁護の運動でもある。
1.当HPは「市場原理主義」ではなく、市場の限界は分かっている。だから政府は市場に出来ないことだけを行なえばよいのである。道路を造ることが果たして政府の仕事なのだろうか?道路を造ることが有益なことならば民間に任せておいても道路は建設されるはずである。実際日本でも鎌倉時代にも道路を民間で造って元を通行料で回収することは行なわれていた。民間で造る人が出てこないならば、何よりも雄弁にそれが無駄であることを証明しているのである。確かに全く意味のない道路というものも珍しいであろうが、利益よりもコストの方が大きいのであれば民間で作ることはない。そういうことは自分で必ず儲かるはずだと確信する人が、自分の金と自分で集めた金で実行すればよいのだ。だが長くなったのでここらで結論を出しておくべきだろう。時代のパラダイムをまず読むこと。それは日本の今後は自由社会を建設することだけにかかっているということだ。だから一気にここで「小さな政府」に行くのが最も理想的だがそれが困難ならば、まず無駄を徹底的に省き、軍事費・公共事業・大企業や米国へのお助けを徹底的に排除して弱者に回す政策を打つこと。出来るだけ小さい政府がよいがある程度大きくなってもよい。しかし質に気をつけてたとえ福祉や教育・医療であろうと無駄は徹底的に排除する必要があると考える。
