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原油・食糧の値上がりは投機の為だったのか?081230

1.原油などの価格も数ヶ月前の半値くらいに下がった。ところで最近、一時の原油・食糧の値上がりは投機の為だったのだ・しかもそれは証明されたとの説が一部で言われている。しかもそれを幾ら読んでも私には理解できなかった。奇妙な説なので放って置こうとも思ったが、年末なのでここで当HPの考えをまとめてみたい。

1.何1つ根拠を示すことなく、しかも断定的に「原油・食糧の値上がりは投機の為だったことが証明された」とされるのだが、どうも”一時あれだけ値上がりしたのに現在値段が下がったことこそあれが投機だった証拠だ”と一部では考えられているようなのである。これ以外にいくら読んでも他に思い当たる節が存在しないため、一応これがその説の根拠らしいと仮定しておこう。だが、こうしたことがそうした結論の根拠になるのだろうか?

1.確かに、あの値上がりが「投機」であったならば、値上がりを企むことで一般大衆に高値を掴ませることで自分はさっと引いたとすればすぐに下がるだろうし、辻褄は付く。だが逆に、後者から必ず原因は前者だったという証明は難しい。もう1つの困難は、そもそも「投機」とは何なのか?「投資」とどう違うのかが明確になっていないことである。

ある説によると、買った商品(原油・食糧・株など)を30日以上手元においておくと「投資」になるという。それより1秒でも速く売ると「投機」だという。それは、長くもてばもつほどそこの「愛情」が感じられるからだという。他にも様々な説があり、どれも納得できないが、ともかく投機を非難される方は投機の定義と、その定義が何故合理化されるのかを明確化されたほうがよいだろう(前者はその方が如何なる事実判断をされているかを明らかにされることであり、後者はその方が如何なる価値判断をされているかを明確化されることである)。

1.ここでは、一応「投資」とは長期的に利益を狙うことであり、「投機」とは短期的に利益を求めることだと考えておく。さて、初めの「投機=犯人説」に戻る。もしも今回の物資価格の乱高下が、それに関わる全ての人が「投資」のみを求めていてもそれでも同じ現象が起きるのであれば、今回記事で取り上げたような「投機=犯人説」は崩れることになる。そこで先ず、原油・食糧の取引に関わった人はここ1年間は全て投資者であったと仮定する。

○まず、民間の年金基金などがサブプライムなどの暴落を見て、株に投資することは危ないと考えたとする。すると彼らは何処に投資しようと考えるだろうか?今後BRICsなどの大発展が考えられ、あと5年-10年、いや20年-30年後に必ず原油・食糧は更に人々に必要とされるだろう、足らなくなるだろう、だからここで大いに投資をして(原油・食糧を買って)、それらを増産させる切っ掛けを与えることは自分たちにとっても決して損にならないと考えたとする。こうなれば明らかにそれらの物資は値上がりを始めるだろう。ところがその為に益々それらの物資が値上がりし、サブプライムなどが下がることで米国経済が沈没し世界不況になるならば、BRICsなども打撃を受けるから、必ずBRICsなどが沢山それらの物資を将来買うとの見通しが立たなくなる。ならば売ろうということで物資が値下がりする。だから「投資=犯人説」も同じように十分成立する。

○それだけでなく、「投機=犯人説」より「投資=犯人説」の方がこのような乱高下をよりよく説明する。投機者は短期の値動きの予測には強いはずだ。一方、投資者は長期の予測には強くとも短期の予測に弱いため(だから投資を行なうのである)、短期の損を出しやすい。今回の乱高下により、儲けた人と損をした人の両方が生じたはずである。だから、今回の現象に関わった人が全員が投機者であったと考えると矛盾が生じる。一方、今回の現象に関わった全員が投資者であったと考えることは全然矛盾が生じない。

現実には投資者と投機者が混じっていたと考えられるが、圧倒的に投資者が多かったと考えるのが妥当と考えられるのである。要するに「投機は価格を吊り上げるのではなく、価格を安定化するものである」訳だ(「エコノミスト」080909号記事;当HP過去記事
重要記事「投機は悪なのか」エコノミスト080909号」参照)。

1.一方、世界大不況が発生するまでは米国は物資の値上がりは投機のためではないと言い続けたが、あとになり立場に変化が見られる。これもご都合主義と考えられる。つまり、景気がよく、大企業がやりたい放題やっていた時代は規制を嫌い、「自由」を主張するのは成り行きであり、不況が発生して大企業が倒産の直前になってから政府にお助けを求め自分を守る為「規制強化」を求めることも成り行きである。そこでコロッと「大きな政府」を求め、突然に「規制強化」を叫び、「犯人は投機だ!」と叫びだすことも有り得ることである。だがそもそも「投機」とは何なのか?その定義と・そう定義する正当性が示されない限り、全てはどうにでも言えることではないだろうか?物価の乱高下には確かに何らかの原因があるはずだ。その原因を「投機」と定義するのでは話は幾らでも辻褄を合わせることが出来る。だがそもそも投機と投資は違うものなのか?そこに質に違いはなく、程度の問題しかないのではないだろうか?だとすると、「投機」を非難することは要するに我々が商品を売ったり買ったりすること自体を非難しているのである。そのような主張こそ、自由の敵であることを気を付けねばならないだろう。

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