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チベット問題080405

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A Japanese thinks Tibet problem 1.(on April 5, 2008)

1.当HPが勝手に応援している日本共産党のHPの記事

「チベット問題――対話による平和的解決を
志位委員長が胡錦濤主席に書簡」(2008年4月4日)

によると、

「・・志位・・委員長は三日・・中国の・・国家主席に書簡を送りました。・・書簡の内容は以下の通り・・。

 「中華人民共和国国家主席 胡錦濤殿
 チベット問題をめぐって・・犠牲者が拡大することを、憂慮しています。・・わが党は・・ダライ・ラマ側の代表との対話による平和的解決を求めるものです。
 ・・双方が認めている、チベットは中国の一部であるという立場で対話をはかることが・・重要であると考えます。
 ・・オリンピックをこの問題に関連づけ、政治的に利用することは・・オリンピックの精神とは相いれない・・ということが、わが党の立場であることも、お伝えするものです。
 2008年4月3日
 日本共産党中央委員会幹部会委員長 志位和夫」」。

1.今回は、最近起きているチベットでの騒乱やこの記事に関し、当HPの見解を述べる。はっきり言って、不明の点が多く、結論を言うには全然至っていないが、確実にいえること・これはどうも確実らしいということは述べる。

1.先の共産党HPの記事の内容のうち、話し合いで解決しようとか・スポーツの祭典のオリンピックを政治利用すべきでないとかは、普通の良識ある人は何も問題はないと考えるだろう。だが当HPは余り良識がないため、「話し合い解決」ということに大きな疑問を感じている。だがこれはあとで述べる。

次に「オリンピックを政治利用すべきでない」ということも、普通の人には当たり前であろう。様々な意見やイデオロギーの違いで戦争している国でさえ、4年に1度のオリンピックでは矛を収め、兄弟としてスポーツをやる。これがいつかは平和につながるのだ。例え中国がチベットを侵略していると言うことが事実であったとしても、4年に1回のオリンピックではその侵略に反対する国も賛成する国も、一堂に会し、仲良くやるのは当たり前のことで、ボイコットをすべきでないのは当たり前だ。大体今年のオリンピックは中国がやるのではなく、国際オリンピック委員会がやるのである。国際オリンピック委員会と北京市が共催する。中国政府はそれに協力しているだけだから、チベット問題がオリンピックと無関係なことは明らかだ。

1.最大の問題は、果たしてチベットは中国の一部なのかということだと思う。これは真剣に考える必要があるが、とりあえず言えることは、ダライ・ラマもチベットは中国の一部だと言っていることだ。だったらことを大きくして騒ぎを大きくする必要はないのではないか?ユーゴスラビアを見ても、独立とは大変なことで、大きな犠牲が出る。双方がチベットは中国の一部だと言っているなら、それを基礎として困っていることがあるなら具体的に1つ1つ解決していけばよい。何も寝た子を起こす必要はない。北米インディアンがUSAから独立し、白人は全部欧州に帰らないといけないということもあるまい。

1.というわけで、とりあえずいえることは、先の共産党の胡錦濤への手紙は、確かに政治的に考えれば当たり前で、これが一番犠牲を少なくして問題を丸く収める方法だと言うことだ。そういう意味では支持出来る。しかし当HPは中々こういうことでは満足しないうるさいHPであり、本当に歴史的にチベットは中国の一部と言えるのかどうかを、もっと根源的に考え、世に問いたい。そこで述べる。

1.チベットと中国の関係は非常に深い。近年分ったことだが、殷王朝においては、チベット人を神に生贄として捧げていた。

「羌(きょう):
中国の西北辺に居住したチベット系遊牧民。殷の甲骨文に人身供儀としてみえる」(「世界大百科事典7」平凡社/2006;p.236)。

殷とは、古代中国において、黄河中流域を支配圏とした漢民族の王朝だ。これが毎年チベット人を生贄にしていたことからもお分かりのように、昔はチベット人はヒマラヤの近くだけ住んでいたのではない。当時は中国西北部の草原=西域といわれる地方に多く住んでいたと思われる。だが現在のチベット高原にも居たであろう。ビルマ語とチベット語は近いからだ。

だが、チベット語と中国語も非常に近い。単音節言語と言って、1つの子音と1つの母音だけで言葉が出来、1つの意味が成立する。これでは沢山同音異義語が出来る為、四声といってアクセントで区別する。これも中国語と同じだ。

だから、そもそも中国人は元は何処に住んでいたのか?チベット人も中国人も基は同じだったのではないかとも考えられる。

元に戻るが、この様に虐げられていたチベット人に絶好の機会が登場する。殷が周によって打ち倒されるときがやってくる。所謂殷周革命だ。渭水(黄河の支流。周の中心部を流れる)で釣りをしていた太公望が周の軍師となり、殷を打ち倒す。

この太公望、本名は呂尚(りょ・しょう)という。釣りの最中に周の文王に見出され、周の先公の太公が望んで居た人物だと言うことで「太公望」と呼ばれた。彼はチベット人だった(この話は、宮城谷昌光氏の小説「太公望」で、日本人には割りと有名だ)。

「羌(きょう):
中国の西北辺に居住したチベット系遊牧民。・・・呂尚(太公望)も同種族」(「世界大百科事典7」平凡社/2006;p.236)。

呂尚にはもう1つの名前があった。姓を「姜(きょう)」といい、羌(きょう)を意味する。実は「姜」氏は、周王室の「姫」氏と通婚関係にあった。
つまり、周自体が純粋な漢族ではなく、元々は異民族で漢族に同化した。この周がチベット族と同盟関係にあり、結婚を交わす関係にあった。そして大手柄を立てた呂尚は、周から渤海湾の周りの山東省を中心とする「斉(せい)」という大国を貰うのである。

つまり、中国語とは漢字自体は連続性があるが、発音が時代によって激しく変化する。それは、異民族が元々の漢族を打ち倒したあと、文字は継承するが発音は自分たちのものに変えてしまうため、変化が大きいとも考えられる。

そして彼らは、この様な元の支配民族を打倒するイデオロギーも考え出した。それが儒教の「革命」思想だ。つまり、天から与えられた使命を喪失すると罰が下り、支配権が次の支配種族に移動すると。こういう考え方に基づき、モンゴル族も満州族も中国を支配した。漢族が異民族を打倒するときも「夷狄(いてき)は遂に天命を失った」という理由でこれを打倒した(つまり、天命を失うまでは異民族は立派に天から与えられた使命を果たしていたと)。

1.周の力は次第に弱くなり、洛陽の都の近辺しか支配できなくなった(春秋時代)。この時チベット族の斉は、「尊皇攘夷」(周の皇室を護り・夷狄を打ち払う)と唱え、中国全体の実権を握り、外敵と闘った。斉はこの頃姜と名乗っただけでなく・羌とも名乗っている。だがやがて、家老に実権を奪われ滅びる。春秋時代にはやはり異民族の「越」が中国全体を牛耳った時期もある。元々は揚子江の下流に住む異民族だったが、やはり「尊皇攘夷」を唱え、周王室を護り、外敵と戦った。こうした異民族には中国文明への尊敬心があったから、周王朝に取って代わろうとは当時は考えなかった。やがて越も力を失い、落ちぶれて現在のベトナム地方へ流れていったという。そしてそこで新天地を開き、新王朝を作った。現在のベトナム人はその子孫というが、実は血はあまり入っていない。元々住んでいた種族が多かったので血は非常に広くひろがってしまった。だが文化は引き継がれた。「越」ももう少しで漢族になるぎりぎりのところまで来たことがあるのだ。

1.チベット族が中国史で大きく活躍した時期が4つある。1つは上に述べた。

(・太公望と斉の時代)
・五胡十六国時代
・宋の時代
・吐蕃王朝時代

○五胡十六国時代:
南北朝時代ともいう。南朝の漢民族王朝に対し、北朝のモンゴル・トルコ・チベット人の王朝が対抗した。
「五胡」とは、鮮卑(せんぴ)・匈奴(きょうど)・羯(けつ)・氐(てい)・羌(きょう)の5族をいう。鮮卑はモンゴル、匈奴・羯はトルコ、氐・羌がチベット族だ。五胡は激しく勢力争いしたが、この中で最強だったのが、氐の苻堅の建てた「前秦」という騎馬民族国家だった。もう一歩で全中国を統一する寸前だった。

○宋の時代:
羌のタングート族がオルドス地方(黄河上流の屈曲部付近)に「西夏」という騎馬民族国家を樹立した。

○吐蕃王朝時代:
上の西夏よりこちらの方が長く続いた為、下にもってきたが、騎馬民族国家として大活躍した時期はむしろ上の宋時代より前の唐の時代だ。唐時代、中国南部のかなりの地域、印度までのシルク・ロードの全て、印度北部、パキスタンまで支配する世界的大帝国を築いた。
唐王朝と姻戚関係を結び、唐から皇女を呼び、后(きさき)とした。玄宗皇帝の時代、トルコ人の反乱(安史の乱)が始まった。吐蕃は援助を申し出たが断られた。唐の弱体化を見、侵略を始める。
763年、チベット兵は「二〇万、悠々と渭水を渡り、途中、わずかの抵抗にあったが、一〇月九日、長安に無血入城を遂げた。・・・吐蕃は金城公主[唐から貰った皇女]の兄弟に当たる広武王承宏を立てて皇帝とし、改元して大赦まで行った」(「中央アジア史」1987/江上波夫・編/山川出版社;p.548)。だが陣中に疫病が流行したため、半月後に長安から撤退した。こうして、五胡十六国時代には中国北半分しか支配できなかったが、遂にチベット族は短期間ではあったが「天命により」全中国の支配者にも成った。

1.以上から分ることは、現在中国領土内に居る漢族・チベット族・蒙古族・満州族・トルコ族は、歴史的に強い関連性があることだ。全ての種族が中国文明にあこがれ、これを我が物にしようとした。もう少し長く中国支配を続けていたら彼らは漢族になったのである。現在の漢族も実際はオリジナルな漢族は全くいないだろう。実際、清朝(ツングース族の一派、満州族の王朝)は、300年という長い間中国を支配した為、現在満州族はほぼ完全に漢人に同化されてしまった。

そこで考えるに、1970年頃次のように言われることが良くあった。「歴史は原始共産制>古代奴隷制>中世封建制>近代資本主義>何れ未来の共産主義時代となるのだ」と。
だが、果たしてそうだろうか?欧州には古代ギリシャ・古代ローマのような典型的奴隷制度(鎖をつけて・鞭で働かす)が存在した。だがアジアには存在しない。それは、中国や印度やエジプトやメソポタミアのような大河のあるところでは、治水が重要であり、治水には強大な国家組織が必要だった。又帝王は、治水さえやっていれば民衆から自分たちは守ってもらっていると有難がられることが出来た。こういうところでは武より文のほうが大事だった。アジアで武官が尊敬される国は日本しかなかった。他のところでは何処でも兵士は最低の職業とみなされていた。
つまり、風土が無視されていたのだと思う。各地域・各国はそれぞれ異なる風土を持ち、それぞれ異なる歴史のコースを歩む。

ところが最近、又しても世界の国々をすべて同じコースを歩むはずだと言う考え方が出てきている。つまり、農業時代>工業時代>情報時代、或いは武力の時代>金の時代>知識の時代と。A・トフラーの考え方では農業時代は王や貴族の時代で、工業時代は民主主義の時代、そして情報時代は変化が速過ぎる為議会が役立たなくなり、ブッシュのような独裁制が必要だという。そして、農業国に対しては何れ必ず工業国になるのだから、民主主義を強引に持ち込むべきだとなる(1)。つまり戦争に訴えて、世界の農業国や中国のような過渡期に在る国は、強引に民主主義を外部から押し付けるべきだとなる。

こういう考え方をするとき、世界の少数民族は必ず独立しないといけないことに成る。なぜなら、ヨーロッパではそうであったし、それが一番良かったと考える故に、世界の何処でも同じことをやるべきだと。そうだろうか?果たして欧州の少数民族問題と他の国の少数民族問題はイコールなのだろうか?これは個別・具体的にかんがえるべきことではないだろうか?

実情を知らずしてとんでもないお節介をする可能性があるだけではない。中国人自身が世界と同じことをやろうとして大失敗したことがあるのだ。辛亥革命がそれだ。

孫文が清朝を打倒したあと、中国国内はバラバラな状態となり、戦国時代となった。故に易々と列強の植民地化は成功した。あの時、清の皇帝を「象徴」として民族統一のシンボルとして残していたらどうだったろうか?清の皇帝を「象徴」としてかつぎ、民主主義化を進めれば良かったのではないか?だが異民族を倒すのだという教条主義がなかっただろうか?実は元(モンゴル)を倒したときも、相当にモンゴルに対し忠義心を持つ漢族は多かったのだ。支配とは武力だけでなく・人民の為の施策の蓄積が大きいのだから。中国のような風土では、前王朝の腐敗や乱れを取り省くだけでも、支配者として相当に尊敬される。治水は強大な国家にしか出来ないから。

ユーゴのように各民族が独立を争って全てが崩壊したところもある。旧ソ連が民主化したのは歴史の必然だったと思うが、それにより必ずしも民衆が幸福になったと言えるだろうか?又プーチンの独裁で民衆は必ずしも不幸になったといえるだろうか?中国も何れは民主化しなければ行き詰ることは確かだが、今がそうかどうかは私には分らない。各国は風土に従い、それぞれの速さで歴史を作る以外ない。チベット族も、独立しなくとも、漢族と次第に融和していくことが出来れば、互いの良いところは未来へ向け高次の統一の中に保存されていくだろう。中華民族なるものが生じ、その中で漢族やチベット族は、最早民族ではなく、民族の中の個性として認識されていくことが出来れば一番良いことではないか?もっと長い時間で考えればそうやっていつかは全世界は1つの民族になるかもしれない。

1.さて、今回のチベット動乱について考える。情報が少ないため確実なことはいえないが、初めこの事件は「平和的なデモに中国軍が発砲して起きた事件だ」といわれていた。ところが中国のTVにチベット僧が無抵抗な中国警察当局に棍棒や石つぶてで襲い掛かる映像が流れた。すると今度は、「オリンピックを控え、中国側は早い内にチベットを暴発させて平定しようと考え、挑発をかけたためチベット僧が怒ってこうなったのだ」といわれた。だが、今中国政府は追い詰められている。別に挑発で自分の首を絞める必要はなかったようだ。

すると今度は、普段の中国の締め付けがひど過ぎて、僧侶でさえ立ち上がらざるを得なくなったのだといわれている。だがそうだろうか?動乱が起きる前、多くの観光客を含め日本人もチベットに立ち入ることが出来た。NHKのチベット報道もあった。民衆が命懸けで蜂起せざるを得ないような状態があったとはかんがえられない。

つまり、今回の事件は、主として僧侶が引き起こしている。中国警察当局に棍棒や石つぶてで襲い掛かることで始まった事件と考えざるを得ないのだ。又最近の報道によると、ダライ・ラマが中国からの独立に反対する為、若手の亡命者を中心に蜂起を決定し、それをチベット内に持ち込んだと印度内やチベット内のチベット人が日本の新聞に言い始めている。

「チベット 二つの不満:
・・今なお原因や犠牲者数など真相は分からないことが多いが、背景には、長年の中国政府の統治に不満を持つチベット人を、インドの亡命政府ですら抑えきれなくなっている現実があるようだ。
・・
昨年6月末から7月に上海などで開かれた6回目の協議で中国側が「チベット問題など存在しない」と態度を硬化、議論が入り口で止まってしまった。
この結果が騒乱につながったと指摘するのはダライ・ラマ・チベット宗教基金会(台湾)のソナンドチェ秘書長。中国への不満と、ダライ・ラマの対話路線への疑念が広がったという」(朝日080328)。

朝日記事はそのあと、47カ国からのチベット人代表が武装蜂起を計画したという情報の紹介を行っている。

つまり今回事件は、普通の国での様に先ず民衆が立ち上がり、最後の段階で僧侶さえも立ち上がらざるを得なくなったということと全然違う。僧侶が中心になって引き起こしたことだ。それが可能なのは、「チベット仏教」とは実はタントラ・バジラヤーナだからだ。「チベット仏教」においてはダライ・ラマ(いわゆる「グル」)の命令は絶対である。だから、上の記事の”若手が勝手にダライ・ラマの言うことを聞かないで引き起こした”と、側近が言い訳していることもまだ嘘があるのではないか?

先の朝日記事も書く。
「ニューデリーでは連日、若い亡命チベット人のデモが続く。ジャンパさん(26)は「多くの若者はチベットの完全な独立を求めている」。だが「もし、姿勢を変えろと命じられたら、変えなければならない」とダライ・ラマの権威を認める。
ニューデリーのチベット人街に住むノルブさん(64)も「内外に600万人いるチベット人は今もダライ・ラマの助言と指示が頼りだ」と話す」。

つまり、今回事件はダライ・ラマの命令で起きた?だからチベット僧は命懸けで警官隊に棍棒と石つぶてで殴り込みをかけた?

先の朝日記事はこう続ける。
「・・中国政府は騒乱自体を「ダライ(・ラマ14世)一派が組織的、計画的に策動した」と断定する。16日に英BBCの取材を受けたダライ・ラマが「チベット人がいつ何をしようとも・・中止を求めることはない」と発言したのが証拠というのだが、かなり無理がある」。

だが私には中国側の言っている方がよほど筋が通っていると考えられるのだ。

1.ダライ・ラマは世界を騙すことに成功していると思っているのだろうか?おもてむきは「高度な自治」を要求する、「絶対平和主義」を標榜しノーベル賞まで騙し取っている?そうだとすれば彼のやり方は失敗した。オリンピックは平和に遂行されるだろう。無茶な蜂起でラサの僧侶内からダライ・ラマへの批判が上がるだろう。何処でも良識派は居るからだ。すると中国側の僧侶を対象とした愛国教育は成功することになろう。中国政府はダライ・ラマと対話をするだろうが、もはやそこにはダライ・ラマへの信頼も信用もない。何1つ得るものはないであろうとしか私には考えられない。
残念ながら、「話し合いをすれば何とか良い方向へいくだろう」との志位委員長の善意は空振りになりそうだ。

(1)A・トフラーは「歴史の必然性」を否定する。にも拘らずこういう考え方に成るのは、人間の「意志の自由」を認めることと・大雨が降れば多くの人間が傘をさすであろうことを予測することが矛盾しないからである。

080517/0729加筆訂正

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